渋谷警察署での署員19名の結核集団感染に関して徹底調査と再発防止を求める声明
2016年5月9日
NPO法人監獄人権センター
1.結核集団感染事件の発生
東京都渋谷区の警視庁渋谷警察署において,2016年4月12日,署員19人が結核に感染し,うち6人が発症していたことが判明した。
報道によれば,同署の留置施設において,2015年1月22日に逮捕され勾留されていた男性(60代)が,同年2月11日に倒れているのが見つかり,病院へ搬送されたが死亡が確認され,解剖の結果,同年8月に,死因が肺結核であることが判明したという。その後,同年12月になって,上記男性の留置の担当であった署員(20代)が体調を崩して入院し,結核と診断されたことから感染が判明した。留置係や刑事課の署員約60人に検査を行ったところ,ほかに18人が感染しており,計19人中6人が発症し,3人が入院したとのことである。
また,死亡した上記男性の解剖をした東京大学医学部は,2016年4月15日,男の死因が肺結核と判明したのに保健所への届出が半年ほど遅れたことについて謝罪した。東大医学部によると,感染症と診断した場合,感染症法に基づいて保健所へ届け出なければならないが,担当医は「解剖の場合は警察への報告だけでいい」と勘違いしていたという。
2.留置施設における医療体制の欠如
留置施設は,本来,逮捕から勾留決定がなされるまでの比較的短い期間,被疑者を留置するための施設であって,裁判官による勾留決定後は刑事施設(拘置所)において勾留するのが原則である。しかし,実際には,刑事施設に代えて,留置施設において勾留する取扱いが常態的になされており,こうした「代用監獄」(現在の法令では「代用刑事施設」)制度は,古くから違法な取調べの温床として国内外において厳しい批判に晒されてきたところである。
ここでの問題は,留置施設は,比較的短期間の収容を本来の目的とする施設であるために,医療体制が整っていない点にある。留置施設には,非常勤も含めて医師その他の医療専門職員は配置されておらず,したがって,拘置所であれば必ず実施される入所時の健康診断も行われない(刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律61条1項,同法200条1項参照)。死亡男性が代用監獄ではなく拘置所に移送されていれば,入所時の健康診断において結核が発見されていた可能性が高い。
もっとも,留置施設では,被留置者に対して,おおむね1カ月につき2回,留置業務管理者が委嘱する外部の医師による健康診断を行うこととされている(同法200条2項)。ただし,留置施設には医療設備が存在せず,もちろん胸部エックス線検査を行うことはできない。死亡した男性は,2015年1月22日から2月11日までの21日間に渡り,当該留置施設において留置されていたのであり,法令にしたがった運用を前提とすれば,少なくとも1回は健康診断を受けていたはずである。しかし,公表されている事実経過からは,健康診断においては進行した結核の症状が見落とされていたと考えられ,これは,留置施設における健康診断のあり方に深刻な疑念を抱かせる事実である。
3.死因究明手続の欠如の問題
さらに,男性の死因を究明手続と,その結果を受けての調査や感染拡大防止措置が迅速かつ適切になされていれば,早期に死因が結核と判明し,その後の感染拡大を防げたことは論を俟たない。
刑事被収容者処遇法は,刑事施設の被収容者が死亡した場合,その死体に関する措置を定めており(177条1項,2項),これを受けて刑事施設及び被収容者の処遇に関する規則93条は,検視の結果,変死又は変死の疑いがあると認めるときは,検察官及び警察官たる司法警察員に対し,その旨を通報しなければならないと定める。これに対し,被留置者が死亡した場合については,同法239条及びこれを受けた内閣府令(国家公安委員会関係刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律施行規則)のいずれも,検死に関する規定を欠いている。
もっとも,本件では男性の死因を明らかにするため解剖がなされたが,報道によれば,2015年2月に死亡した上記男性について,死因が明らかになったのは死亡から約半年後のことであった。この時点で,解剖にあたった医師は,保健所への届け出は怠っていたものの,警察には死因を伝えていたという。刑事被収容者処遇法は,留置業務管理者に対し,感染症の発生及びまん延を防止するための措置を義務付けている(204条,64条)のであるから,医師による届け出義務懈怠の有無にかかわらず,渋谷警察署の留置業務管理者は,死因の連絡を受けた時点で,ただちに留置業務従事者をはじめとして死亡男性と接触した可能性のあるすべての人物について,必要な措置をとる義務があった。にもかかわらず,同年12月に署員が結核と判明するまで何らの措置を取らなかったことは明らかな法令違反であり,この義務懈怠がさらなる感染を惹き起こした可能性は十分に考えられる。
4.再発防止に向けて
今般,渋谷警察署で生じた事態は,留置施設における保健衛生・医療に関する体制が,極めて不十分であることを明らかにすると同時に,今後も,全国の警察留置場で同様の事態が生じ得る構造的な問題点を示している。
本年5月,刑事被収容者処遇法は施行から満10年を迎える。今回の事態を受け,警察庁は,当面する課題として,留置施設における健康診断をはじめとする保健衛生・医療体制につき,法の規定を含めて抜本的な見直しを行うべきである。
あわせて,本件は,代用監獄(代用刑事施設)そのものが,人の生命をも危険に晒しかねない危険な制度であることを改めて明らかにした。当センターは,同制度の廃止に向けて,具体的な検討が開始されるよう,強く求めるものである。
以上