第二次名古屋刑務所事件を受けてと第三者委員会提言書に対する意見書
=刑事被拘禁者に対する暴力と人権侵害を根絶するためにはどのような改革が求められているのか=
2023年6月21日
NPO法人監獄人権センター
第1 提言書の公表と事件の分析
第2 再発防止と早期発見のための具体的提言について
第3 組織基盤整備のための方策について
第4 全く取り上げられなかった最も重要な改革課題・刑務所医療の保安体制からの独立
第1 提言書の公表と事件の分析
本年6月21日、法務大臣が設置した「名古屋刑務所職員による暴行・不適正処遇事案に係る第三者委員会」が、提言書を公表した。
同委員会は、2021年11月から2022年8月にかけて、合計22名の刑務官が、3名の受刑者に対して、暴行や不適正な処遇を継続して行ってきたこと(以下、「本件事案」という。)を踏まえて、その再発防止のために設置された。
「刑務官たちは、「悪ふざけ」や「優越感を味わうため」だったと動機を供述している」とのことであるが、その原因・背景事情について、「名古屋刑務所においては、規律秩序を過度に重視する組織風土の下、その特性から指示等に従うことが困難な状況にあった被害受刑者に対して、その特性に応じた適切かつ具体的な処遇・対応方法が組織的に十分に検討・共有されないまま、関係職員が力で押さえつける手法に頼って、定められた規則に従わせるという画一的な対応を行う中でトラブルが積み重なり、自らの指示に従わない被害受刑者の態度に立腹し、又は指示に従わせるために暴行等に及んだものと考えられる。」と分析している(提言書8頁)。
提言書は、名古屋刑務所において、若年の刑務官が特に多いなどの特殊要因を指摘しつつ、刑務官に対する全国規模のアンケート調査結果に基づき、全国の刑事施設に基本的には共通する問題として、被収容者の人権尊重の意識が薄いこと、規律秩序の維持を過度に重視していること、個々の受刑者の特性に応じた処遇を行う体制がないことなどを指摘している。
提言書が、刑事施設における矯正処遇の中で、これまで指摘されながらも改善されてこなかった諸問題を解決するための第一歩となることを、監獄人権センターは期待する。
さらに、約30年にわたり、刑事施設の処遇改善・被拘禁者の人権問題に専門的に取り組んできた組織として、以下の意見を述べることとする。
第2 再発防止と早期発見のための具体的提言について
提言書は1,処遇体制の充実2,サポート体制・マネジメント体制の充実3,刑事施設視察委員会制度の運用改善4,不服申立制度の運用改善の4点を指摘している。
1 社会復帰のための処遇を担当する職員と保安業務を担当する職員は明確に分離すべきである
処遇体制の充実としては、保安を担当する刑務官と教育・心理・社会福祉の専門家がチームを組んで処遇を行うべきとの方向性を示したこと、受刑者の収容分類を見直し、施設ごとの機能の専門化が打ち出されていることが注目される。我々は、このような提言は、プラスに評価するが、十分なものとは言えないと考える。我々は、社会復帰のための処遇を担当する職員と保安業務を担当する職員を明確に分離すべきであると考える。
日本では、長く「担当行刑」という実務運用がなされてきた。これは日常的に親しく収容者と接している第一線の保安職員が処遇の中心を担っている運用である。現場で保安業務に当たる刑務官が、受刑者の社会復帰のための処遇でも中心的な役割を担い、「担当さん」「先生」とよばれてきた。この運用は法的な裏付けはないが、すべての制度が、この運用を前提に組み立てられている。
人権侵害を未然に予防するため根本的な改革として、この担当行刑を見直し、刑務所の秩序維持の機能と教育・支援機能と医療提供の機能を明確に分離することが必要であると私たちは考える。
いまも、刑務所の中で、処遇(保安)部門と教育部門とは形式的に分離されているが、組織体制のうえで、教育部門はきわめて脆弱である。最近監獄人権センターがインタビューした元刑務官は、刑務所の中枢は柔剣道の経験者によって担われ、警備隊から工場担当に昇進する事が花形とされ、教育部門の職員については、「教員免許や教育の専門知識は持っておらず、本人から希望して教育部門にくる人はいない。処遇部門で適性がない職員がくる」と述べている。
ひとりの刑務官に、刑務所の秩序維持の機能と教育・支援機能を、同時に担わせる「担当制」そのものが、今回の暴力を産み出した根源であって、見直しの対象とされるべきである。
確かに、過去に熟練した刑務官が、二つの機能をともに担って成功した例もあったかもしれない。我々の提案に対して、秩序の維持だけに特化した刑務官にどのようなやりがいが見いだせるかという批判があることもわかる。しかし、私たちが参考にしてきたヨーロッパの行刑の現場では、保安と社会復帰処遇・医療は明確に人的に分離されている。保安担当のモチベーションを下げないで、このような処遇を成功させている例があるのだ。2017年に日弁連でスペインの刑務所を訪問した。重罪犯を収容する第7刑務所で、所長のエンリケ・バルディビエソ氏から,同刑務所に関する説明を受けたが、同席した副所長のアンドレア氏は,保安体制の担当で,法律の専門家であった。もう一人のホビータ氏は,社会復帰処遇を担当する心理学の専門家でもあり,分類や仮釈放などを担当していた。社会復帰処遇部門のトップは心理学の専門家なのである。このように、刑務所の職員は明確に安全担当と処遇担当に分かれていた。すくなくとも、一人の刑務官が同時に両方の職務を兼務することはない。そして、保安業務だけを担当している職員も誇りあるプロフェッショナルとしてモチベーションが低いようには見えなかった。
日本でも、行刑改革後に美祢や島根あさひ、喜連川などのPFI刑務所がつくられ、野心的なプログラムも実施されてきた。そこでは、外部の会社に社会復帰処遇プログラムの企画まで任せている例がある。島根あさひ社会復帰促進センターのアミティプログラムは、大林組が運営してきた。
しかし、PFIに収容されるのは、初犯の模範的な受刑者に限られている。今回問題が起きた名古屋刑務所などの累犯刑務所では、従来の担当制が続いている。受刑者の高齢化が進み、若手の刑務官たちが実際の処遇の現場で対応に苦慮していることは、刑務所訪問の時に常に幹部たちから聞く言葉である。
担当の刑務官が日常の処遇を通じて受刑者を指導するのが担当制の長所とされてきたが、現在の刑務所では、巡回中に刑務官と受刑者が私語を交わすこと自体が籠絡防止のために禁じられている。また、廊下は監視カメラによって常時監視されており、立ち止まって受刑者と話していただけで、その刑務官は「理由書」をとられ、場合によっては注意処分を受ける。このような環境の下で、社会復帰のための指導の前提となる信頼関係など作りようがない。人間対人間のコミュニケーションが困難な環境の下で、若い刑務官は、受刑者の人間性を否定し、「嘗められてはならない」「示しをつける」などの意識を生み、継続的な暴力を生み出したのである。
このような運用の実情を改革するには、刑務所の社会復帰処遇を専門職として位置づけ、心理学を学んだ専門家を直接処遇担当に採用し、保安担当とは採用ルートを根本から変えることが考えられる。こうした心理の専門家が、改善更生プログラムを実施するだけではなく、日常的に受刑者に接して全人的な人間的成長を促すことができるよう、職員の多数を占め処遇の中心となる必要がある。仮にそれが難しいとしても、現実に保安業務を担当している多くの職員に対しても、専門的な研修と試験を受け、資格を得た者のみが処遇を行うことができる制度とすることが考えられる。このような方策をとることで、職員のモチベーションを下げず、更生と社会復帰を志向する刑務所へと作り替えていくことができるだろう。
2 ウェアラブルカメラの導入への危惧
提言書はウェアラブルカメラを導入し、これをサポートに活用するとしている。
しかし、提言書が正しく指摘しているように、「ウェアラブルカメラの装着により、被収容者が萎縮してしまい、職員との間の円滑なコミュニケーションを阻害するおそれがある点には十分に留意すべきである。また、監督職員等の過度な業務負担の増加につながらないよう、現在の運用状況も把握した上で、対象とする被収容者、使用目的、使用方法に加え、データの保存期間、データの管理方法、データへのアクセス等についても具体的な運用方法を検討し、内規を整備するなどして、その適正さを確保する必要がある」と考えられる。
「AIによる映像解析技術等最新技術の導入」も提言されている。監視の強化が、受刑者と刑務官の関係を悪化させ、信頼関係の構築が難しくなる問題点を自覚して、その具体的な予防策が真剣に検討されるべきである。
3 刑事施設視察委員会の改善について
今回の提言はいずれも現在の法制度を前提とし、その運用改善の域を出ていない。刑事施設視察委員会の権限の強化についても、原資料を含む必要な資料は閲覧・視聴させるとされているが、その法制化には踏み込んでいない。昼夜独居とされているものへのアンケートの実施や任意抽出による面接が提案されているが現行制度で可能なことばかりともいえる。矯正管区の関与や、視察委員会の合同の話し合いなども提言されている。イギリスにおけるIMB(独立監視委員会)の充実した研修制度等も参考に、委員の自発性とその相互交流を主題とした研修の充実を期待したい。
4 不服申立制度の改善について
懲罰と不服申立制度の改革については、また、受刑者三人のうち、二人が職員の言動について、矯正管区などに「不服申し立て」をしようとしたものの、職員が適切な受け付けをせず、断念していた。不服申し立ての制度が機能していない深刻な状況が明らかになっていた。
改善策としては、所内の手続きの補助や、IT技術の活用ばかりが指摘されているが、弁護士による申立代理、懲罰手続きへの立ち会いこそが、真っ先に実現されるべき改革であった。残念ながら、今回の提言は、まるで、法改正の提言など法制度の改革には踏み込まないというあらかじめの合意なり、制約があったかのように、問題が矮小化され、制度の運用面での改善だけに提言内容が限定されているようにみえる。
5 置き去りにされた制度的課題
今回の問題の発端は、昼夜独居拘禁とされている者が被害者とされており、障がいの結果として規律を守れない者への対応が問題となっていた。まず、次の2点におけるマンデラルールの法制度への導入は不可欠だったはずである。
(1)長期独居の廃止に踏み込むべきだった
マンデラルールは、独居拘禁について次のように定めている。
規則44 本規則の目的のため、独居拘禁とは、一日につき22時間以上、人間との有意な接触がない拘禁を指すものとする。長期にわたる独居拘禁とは、連続して15日を超える期間の独居拘禁を指すものとする。
規則45 1. 独居拘禁は、例外的な事案において最後の手段として、可能な限り短い期間のみ用いられるものとし、かつ、独立した審査の対象とされ、権限ある当局による授権によるものとする。独居拘禁は、被拘禁者の刑の効力に基づいて科されてはならない。
2.精神的又は身体的な障がいを持つ被拘禁者の場合、このような措置によりその状態が悪化するような場合には、独居拘禁を科すことは禁止されるべきである。犯罪防止及び刑事司法に関する他の国連の基準や規範において述べられているように、女性および子どもが関わる場合には、独居拘禁および類似措置の使用の禁止は、引き続き適用される。
本件事案において被害を受けた受刑者はいずれも、昼夜独居拘禁に付されていた。そして提言書によると、大半の被害受刑者は関係職員と1対1の状況で、かつ、短時間のうちに不適正処遇を受けていたことから、上司が定期的に実施する巡回等の場面で発見されることはなく、各所に設置されていた監視カメラによる常時監視体制の下でも本件事案の発見には至らず、結果として、被害受刑者は長期間にわたり重大かつ深刻な被害が継続する状況に置かれることとなった(提言書6頁)。被害の発覚が遅れたのは、被害受刑者が他の受刑者から隔離されることで、被害が他の受刑者等の目に触れる機会を奪われたからである。マンデラルールは長期独居の廃止を明示しており、これに従い各国で長期独居の廃止・規制が進められている。本件事案により独居拘禁の負の側面があらためて明らかになったのであるから、第三者委員会は長期独居の廃止に踏み込むべきであった。
(2) 障がいの直接の結果であると考えられる被拘禁者のいかなる行為にも、制裁措置を科してはならないことを法制度に明記するべきだった
提言書は、「障害を有する者に懲罰を科すに当たっては、本人の意思や主張等を正確に把握するため、人間科学の専門職等を関与させることを検討すべきである。」(30頁)とする。しかし、本人の意思や主張等を正確に把握するだけでは、不十分である。障害を有する被拘禁者に対する制裁措置について、マンデラルール規則39.3は次のように定めている。
規律上の制裁措置を科す前に、刑事施設当局は、被拘禁者の精神疾患又は発達障がいが、規律違反行為に寄与しているのか否か、およびどのように寄与しているかを考慮しなければならない。刑事施設当局は、精神疾患ないし知的障がいの直接の結果であると考えられる被拘禁者のいかなる行為にも、制裁措置を科してはならない。
かかる規則からすると、精神疾患ないし知的障害の直接の結果と考えられるいかなる行為に対しても制裁措置は科されるべきではなく、第三者委員会は、障害の直接の結果に対する懲罰を禁止する規定を刑事被収容者処遇法に取り込むことを提言するべきであった。
(3) 個人情報の蓄積と一元管理に伴って必要となる個人の権利の保護措置について示すべきであった
さらに、2021年6月15日、最高裁判所第三小法廷は、東京拘置所に収容されていた未決拘禁者が、収容中のカルテに記録されている個人情報全部の開示請求を認めない旨の東京矯正管区長の決定の取消し等を求めた事案について、これを棄却した東京高等裁判所の判決(原判決)を破棄し、本件を東京高等裁判所に差し戻すと判決した。
判決は、刑事施設内の病院等にも原則として医療法等の規定が適用され、被収容者が収容中に受ける診療の性質は、社会一般において提供される診療と異なるものではないとした上で、旧法(行政機関の保有する電子計算機処理に係る個人情報の保護に関する法律)の改正において、診療情報を開示の対象外とする規定を設けなかったのは、開示の範囲を可能な限り広げる観点などから、診療情報一般を開示請求の対象とする趣旨であると解し、本件情報は行政機関個人情報保護法45条1項所定の保有個人情報に当たらず、同法12条1項の規定による開示請求の対象となると判示した。
宇賀克也裁判官の補足意見も指摘するとおり、医療はインフォームド・コンセントが基本であり、医療における自己決定権が人格権の一内容として尊重されねばならず、そのことは刑事施設における診療においても何ら変わりはない。
行刑改革会議の提言(2003年12月22日)でも、矯正医療の適正確保のために本人又は遺族に対してカルテを開示できるような仕組みを作り、外部からのチェックを受ける体制を構築すべきことが明確に求められていた。にもかかわらず、法務省は、刑事施設におけるカルテの開示は行政機関個人情報保護法の適用除外であるとしてこれに応じてこなかった。しかし、刑事施設におけるカルテ開示が認められるべきことは、既に国際人権水準における標準的取扱いにもなっている。
すなわち、すべての者は、「到達可能な最高水準の身体及び精神の健康を享受する権利」を有しているが(社会権規約12条1項)、被拘禁者等が医学的検査を受けた場合には、その事実、医師の名前及びその検査の結果は正確に記録され、その記録へのアクセスは保障されなければならないとされ(あらゆる形態の拘留又は拘禁の下にあるすべての者の保護のための諸原則26)、それは被拘禁者処遇最低基準規則(マンデラ・ルール)にも継承されている。
今回の提言では、被収容者の情報について幅広く職員間で共有化する必要があるとし、さらにウェアラブルカメラの活用にまで踏み込みながら、個人情報の蓄積と一元管理に伴って必要となる個人の権利の保護措置については全く示されなかった。
マンデラルールの「規則9 規則7と8において言及された記録はすべて、機密性を保持されねばならず、職務上の責任からこれらの記録へのアクセスが必要とされる者のみが利用し得るものとする。いずれの被拘禁者も、国内法のもとで認められた内容に従い、自己に関する記録へのアクセスを認められるものとし、釈放時に、こうした記録の正式な写しを受け取る権利を与えられるものとする。」の規定を法制度において、具体化する必要があったのである。
第3 組織基盤整備のための方策について、
1 組織風土の改革について
提言書は、職場内の心理的安全性の確保、武道関係者への過度な配慮の撤廃、受刑者の呼称の改善・職員の識別票の導入、物理的保安(外塀、鉄格子)、手続的保安(所内規則、懲罰)に加え、動的保安(受刑者との対話)の導入による保安に対する考え方の更新、動作要領の改廃、懲罰の運用改善などが指摘されている。
職場内の心理的安全性を確保するためには、刑務官の自由な話し合いの場が確保される必要がある。欧米では、刑務官にも労働組合の結成が認められている。ILOは、消防士と刑務官に対する団結権の保障を求めている。このような制度改正も視野に入れた議論が必要である。
受刑者を「懲役」「やつら」を呼ぶことを禁止することは当然として、俗語や隠語の廃止、呼び捨てにすることの廃止にまで踏み込んで提言している点は、高く評価できる。その実現を強く望みたい。
動的保安について提言は、次の通り指摘している(提言書29頁)。
これまで、刑事施設内における保安は、外塀や鉄格子等(物理的保安)と規則や懲罰等(手続的保安)を中心として考えられてきた。他方で、経験のある刑務官による被収容者との積極的な関わりや働き掛けが、被収容者に変化を促し、保安を維持する上で大きな役割を果たしてきたものと考えられる(動的保安)。このような働き掛けも保安を維持する役割を果たしていると明確に位置付け、その技法を一般化・可視化した上で、特に若手職員に共有することを検討する必要がある。
動的保安は、ダイナミック・セキュリティの訳語であり、刑務所職員と受刑者との信頼関係の構築、積極的な処遇の展開が、刑務所の保安にとっても大きな役割を果たすことができるという考え方である。マンデラルールの76項にも取り入れられ、さらに、国連のハンドブックまでがつくられている(九州大学刑事政策研究会訳 「ダイナミック・セキュリティと刑務所インテリジェンスに関するハンドブック」「法政研究」87巻4号、88巻1号)。その正確な概念を理解し、全面的な導入に舵を切ってほしい。
2 人材の確保と育成の充実について
提言書は、教育専門官や福祉専門官等の専門職の確保、採用後速やかに集合研修を実施、刑事施設収容経験した当事者との対話を研修に導入すること、他施設への異動や施設内における配置転換の推進などが提言されている。
専門職の確保が重要であることは明らかである。しかし、この提言によってこれが実現できるかどうかは心もとない。我々は、保安と処遇の明確な分離、処遇スタッフには専門性が必要であるという組織体制をつくらなければ、人材の確保は困難であると考える。
刑事施設収容経験した当事者との対話を研修に導入し、処遇の相手方の率直な声に耳を傾けることはとても大切な提言である。
3 業務の効率化、合理化について
提言書は、作成書類の削減や意思決定過程の合理化、データ共有による上級庁への報告削減などが提言されている。ITの導入が叫ばれているが、これらの措置を講ずるうえでの課題は膨大であり、慎重な検討が必要である。コメントの限りではない。
第4 全く取り上げられなかった最も重要な改革課題・刑務所医療の保安体制からの独立
- 名古屋刑務所における死亡ケース
一連の暴行が続いていた2022年3月1日、同じ名古屋刑務所の同一舎房において、保護室に収容されていた受刑者が、心筋梗塞と多臓器不全で死亡するという事件が発生した。この事件は、記者発表すらされず、監獄人権センターへの遺族による通報で事件が判明した。監獄人権センターは、本年1月12日に遺族とともに真相解明を求める記者会見を行ったが、その後、病状照会と証拠保全によって次の事実が明らかになった。
受刑者は、2022年2月13日には「胸が痛い」と訴えていたにもかかわらず、救急対応をするのではなく、「大声」を発したとして、繰り返し保護室と静穏室に収容している。2月17日保護室解除後静穏室で「呼吸が苦しい」「手指蒼白」「苦しいMRIをとってほしい」などと訴えていたが、22日になってはじめて「血液検査」によって「急性心筋梗塞の疑い」で「重症指定」され、この時点で家族への通知がなされ、豊田厚生病院に入院している。その診断では、「ある程度時間の経過した心筋梗塞と思われる」との診断であり、心臓組織の一部が壊死していた。受刑者は「心臓カテーテル」術にいったん同意したが、医師の説明後に、「もうやめる」として、刑務所に帰り、その後、刑務所では経過を観察していただけで、3月1日に死亡するに至った。また、刑務所から病院への申し送り文書でも、大声をあげる危険性があるので無理に入院させなくてもよいとの添え書きがなされており、病院側では、手術しないように誘導する説明がされた可能性もある。
本件の根本問題は、心筋梗塞を発症し、胸が痛いと訴えている受刑者を、緊急医療の対象として対応するのではなく、大声をあげている規律かく乱者としてしか見ず、保護室収容などの保安的対応の対象としてしか見なかった点である。そのため心筋梗塞後の緊急期に何の医療も受けることができなかったのであり、このことが受刑者の死亡の結果を招いたと考えられる。まさに、保安と医療とが明確に分離され、医療の必要性を医療スタッフが判断できる仕組みが確立していれば、防ぐことができたと思われる。
監獄人権センターは記者会見前の本年1月9日に基本的な情報を矯正局総務課に提供して、この事件に関する問題を第三者委員会における討議のテーマとするように求めた。しかし、このような申し出は無視された。
なお、本件で遺族は、本年1月10日に名古屋地方裁判所に証拠保全を申し立て、2月9日午後に裁判所による検証が実施されたが、その際、名古屋刑務所は、男性を保護室及び静穏室に収容した際の映像データについて、保存してあり存在する旨回答し、職員の氏名等の情報を削除する作業を行ってから裁判所に提出すると申し出ていた。
ところが、名古屋刑務所は6月7日に記者会見を行い、単独室での男性の様子を写した監視カメラ映像を記録媒体に保存することを決めたものの、職員のミスで別の人物の映像を保存したため、男性の映像の一部が保存されていなかったと発表した。
2 自由権規約委員会・国連人権理事会が求める刑務所医療改革=厚労省所管への移管は不可避である
名古屋刑務所における新たな死亡事件の最大の問題点は、医療が必要な者を保安的措置の対象としたためであると先に述べた。これは、日本の刑務所では、医療の必要性は保安から独立して判断されるべき、という原則が確立しておらず、医療が保安に従属していることから生じた帰結である。医療と保安の分離が無ければ、保安上問題視された受刑者の医療ニーズが見過ごされ、刑務官による虐待があった場合には尚更医療が提供されなくなり、死亡など重大な結果に繋がりやすくなることは自明である。
我々は、全ての刑事被拘禁者が一般市民と同等のレベルの医療を実際に受けられることを確保するために、刑事施設における医療を厚労省所管の通常の医療機関に移管することを求める。
フランスでは、1994年法により、刑事施設の医療は、一般市民と同様のものとすることが定められ、厚生省所属の医師等によって行われるようになった。行刑職員は医療現場には立ち会わないこととなり、医師の守秘義務も一般の医療と同様のものとなり、医師は、行刑職員に対しても、原則として患者についての診療情報や患者から得た情報を伝えることはなくなった。刑事施設のすべての被収容者に一般の社会保険への自動的な加入が定められた。社会保険料は国が負担し、釈放後も1年間は、特別措置として加入が継続される。被収容者が社会保険に加入することにより、被収容者だけでなく、その家族(扶養すべき配偶者、子など)の分もカバーされるのである。この制度はイギリスでも実現している。
2022年11月3日、自由権規約委員会が日本政府に対して行った勧告(総括所見)では、「家族と連絡する権利および必要な時における医療の提供を含めて、刑事拘禁制度を国連被拘禁者処遇最低基準規則(マンデラ・ルール)に完全に適合させるために必要な措置を採用するべきである」と勧告された。
マンデラルールは、医療について、「ヘルスケア・サービスは、十分な資格を有し,臨床において完全に独立して行動する人員を擁した多分野にわたるチームにより構成され、かつ,心理学及び精神医学に関する十分な専門知識を含むものとする」(規則25),「臨床上の決定は、責任のあるヘルスケア専門職のみがなし得るものであり、医療分野以外の刑事施設スタッフによってくつがえされ,あるいは無視されてはならない」(規則27)、「ヘルスケア要員は、規律違反に対する制裁その他の制限措置を科すことに関していかなる役割も果たしてはならない。」(規則46)とされており、刑務所医療の保安体制からの独立を求めている。
2023年1月31日に「国連人権理事会第4回普遍的定期審査(UPR)」が実施され、115か国から300を超える勧告が示された。普遍的定期的審査(UPR)とは、全ての国連加盟国が各国の人権状況について、世界人権宣言と人権諸条約、国際人権基準等にもとづいて相互に審査を行い、各国が改善すべきと考える点について勧告を発出する制度である。国内人権機関の設立については多くの勧告が出されたが、受刑者を含む刑事被拘禁者の処遇については、代用監獄の廃止、マンデラルールの遵守、拘禁施設の訪問のための拷問防止小委員会と国内防止メカニズムが連携する制度の設立を求める拷問等禁止条約の選択議定書の批准などの問題が取り上げられた。
我々が提案している刑務所医療の改革は、フランスに倣ったものだ。フランス行刑の特質を一言で表現するとすれば、「刑務所に市民社会を取り込む」ということである。罪を犯した者に対する処遇を社会全体の課題とし、行刑当局はその営みのうちで、人の自由を拘束し、拘束環境のもとで人間的な生活ができることを保障する。教育は、教育省傘下の教育の専門家(公立学校の教員)に依頼する。図書の整備は、公立図書館の司書が本を選定して蔵書を増やしていく。他の省庁やNPOで、刑務所の中に入ってこようという人がいれば、できるだけパートナーシップを組むようにする。協定を結んで、例えば、離婚した夫婦の一方が刑務所にいる場合に、他方の親の代わりに、子どもを面会に連れてくるNPOがある。こうした活動は行刑当局にはできないことなので、NPOにやってもらっているのである。すべてを刑務所内で自己完結させようとすれば、かならず破綻する。市民社会と共同できることは、原則としてアウト・ソースしていこうとする姿勢に強く感銘を受けた。刑務所医療を厚生省所管とした改革は、実はこのような大改革の一部だったのである。